山椒魚戦争

カレル・チャペック栗栖継訳)『山椒魚戦争』 を読んだ。

 山椒魚って可愛いですよね。私はああいう両生類というか、体表面のぬるぬるしたつぶらな瞳の生物が好きです。そんなこんなで前々から読みたいと思っていたのでついぞ読んだ次第。この時代のチェコの作家というとフランツ・カフカと思い浮かべるが、本作もカフカの作品も大変好みです。

 というわけで、読み終えたのはだいぶ前なのですが感想を。

 作中の山椒魚は現存する山椒魚とは異なり、文明を築く類の高度な知性を持った存在として描かれる。その従順さと繁殖力に着目した人間が有用な労働力として彼らを酷使するものの、途方もない繁殖力を持った彼らが人間から得た科学技術・軍事技術をもって人類の住む陸地を削り始め(彼らは海水性である)、ついには人類を滅亡に追い込む、という話。

 自らの生み出したもの(技術)が際限なき拡大主義と人間性の不在とを土台に自らを滅ぼす。チャペックはこの物語の主人公をナショナリズムであると言ったという。これは時代の文脈を考慮する必要がある。彼の生きた時代はナチスの台頭するドイツの隣国チェコであり(もっとも彼はナチスチェコに攻め入る前に亡くなった)、人間性を廃し合理性に徹するナショナリスト集団が科学技術を手段にどんな破壊をもたらしうるかを切に感じながら書き上げたに違いない。

 山椒魚は科学的研究の手法を身につけ、学校に通い、共産主義を学び、保守派と革新派が血みどろの戦いを繰り広げ、軍隊を作り、ついには人間に対して攻撃を開始する。住む場所がなくなったために陸地を海にしようとしたのである。そこには人間に対する攻撃意欲はない。ただ山椒魚社会の拡大のための必要な手段として陸地を削る。

 中盤に挟まれる山椒魚の生態についての論文がいい味を出していて、いわく山椒魚は男性原理に支配された集団主義社会を構成している(この辺りにはフロイトの理論の影響が見られるか)。こういった全体主義的な集団が自らの拡大のために科学技術を際限なく酷使することへの危惧が表現されていると思う。その意味で、前書きには「科学技術の発達が人間に何をもたらすか、と問いかける」「現代SFの古典的傑作」とあるが、正直SFというよりかは資本主義における合理性批判の物語であるように思える。技術が人間を滅びに導いたのではなく、人が人を滅びに導く。物語の終盤、山椒魚への武器の供与をやめるよう求める宣言を国連が採択するが、資本家達はどれだけ大地が削らようと明日は我が身と思われようと武器供与を止めない。山椒魚への武器供与がもたらす利益に目がくらんでいるのである。山椒魚側もそれを知っており、イギリスを沈める際には金でイギリス政府から土地を買い取ろうと持ちかける始末である。

 山椒魚がその知的能力や身体的能力に基づき販売価格をつけられたり、密猟され奴隷として売買されたり(なお密猟の生き残りはタフであるため価値が高いらしい)といった描写は、労働力商品としての我々やかつての奴隷のメタファーとして機能している。そういった労働力商品の売買や奴隷売買をもはや野蛮さを克服した近代人として自らを規定しているヨーロッパ人にやらせるところに皮肉がある。彼らは言う、「山椒魚が自らの意志を示してくれたら労働環境も何もかももっと改善へと動くのに」と。要求した結果が陸地の削減であるという皮肉な結末である。

 終盤、山椒魚ビジネスを始めた会社の秘書をやっていた男の独白のシーンがある。彼は自分が世界を破滅へと導いたのだと後悔するが、個々人の合理的な行動がこの結果を導いたのだと反論される。共有地の悲劇

久しぶりに本当に面白い物語を読んだと思える。大変おすすめです。