英語独学の軌跡

 中学生の頃から語学学習が好きだ。嫌いではない程度には。

 典型的な日本人が普通教育の中で経験する英語教育以上の英語教育を受けたころのない私にとって「外国語を流暢に操れる」ことは、自分が決して辿り着き得ない、見えない高い壁に阻まれたある種の境地だった。自分に外国語の習得は難しい、と半ば諦めつつ、それでも続けていた英語学習だが、一縷の望みが見えてきたため備忘録としてここに残しておくこととする。

 

 転機は大学4年生の頃だろうか。それは院進を決意して一応試験に向けて勉強をしておくかと思い立ち、大学院に行って研究者になろうというものなら英語のひとつやふたつ(ふたつ?)読めなきゃどうしようもないじゃろがい、という、自分にも他人にも攻撃的ないつもの内なる声に唆されて英語で書かれたクソ分厚い心理学の入門書を買ったときのことだった。かの有名なAtkinson & Hilgard's Introduction to Psychology、当時の最新版である。

 本当に夢も希望もなくて、研究は少し楽しかったから親の支援も得られないままになんとなく院進を決意したんだけど(ダメダメモラトリアム)、それも修了してブルシットジョブに慣れた今となっては昔の話。またの機会に。

 で、その時はかなり頑張って英語に取り組んだ。一日に冗談ではなく10時間くらい英語を読んでいたと思う。卒論も英語文献を死ぬほど引用してイキってやると心に誓っていたため、その分の読書も含めればもっと多い時間になるだろうか。それを数ヶ月続けた。最初は笑っちゃうくらい進まなくて、半日かけて1ページ読み終わるのがやっとみたいなレベルだったのだが、ひと月くらい続けたときに転機があった。気づけば「英語を」読んでいるというよりも、「英語で」読んでいる感覚になった。英語に「入った」とでもいうのだろうか。その言語で情報収集ができるようになることがひとつのターニングポイントである、とはよく言われることなのだが、まさにそれを感じたのが、側から見れば狂ったとしか言いようがない態度で英語を読み続けてひと月経ったその頃であった。

 そこからペースが段違いに上がった。英語の勉強をしている感覚ももちろんあったが、英語で心理学の諸々の知見を学べている感覚がすごく楽しかった。ニュース記事なんかも(語彙が難しいため辞書必携だったが)英語で読めるようになり、自分の視界にもうひとつの世界が拓けたようで本当に嬉しかった。院進してからも英語での情報収集は継続し、第二言語習得論(Second language Acquisition: SLA)の関連書籍や論文を漁り始めたのもこの頃だっただろうか。おかげで心理学の研究論文でよく使われる語彙には無駄に詳しくなった。

 

 しかしここで一つの問題があった。リスニングである。リスニングから逃げてばかりの人生でした。だって聞けないんだもん! 何言ってるかわかんないんだもん! いいじゃない読めれば! ムキー! みたいな態度でリスニングにかかわるすべてから目を背けてきた。このあたりに小さい頃から英語を聞き慣れてきた少年少女との絶望的な違いが見て取れるであろう。

 とはいえこれ以上読んでばかりいても流暢性の向上はあまり見込めないな、という感覚があり、聞く量を増やすことを決意。関係あるようで関係ないのだが、大学の頃にいわゆる第二外国語として2年間学んだのがロシア語で、そのロシア語の1年次の先生が音声学の研究者であったために調音の基本や発音記号を徹底的に仕込まれた。これが予想外に有用で、英語も発音に関してはまぁそれっぽく真似ることができるようになったのだけど、いかんせん聞くのが難しい。音も弁別できないし、なんなら聞けても意味理解が追いつかない。これは言語学習に真剣に向き合ったことのある人なら共感してくれると思う。発音じゃなくてリスニングと言語産出の問題なんだよね。まあそれはさておき。

 最初に手を出したのはPlain English(https://plainenglish.com/)で、これは今でもお世話になっている大変優良なコンテンツ様である。発話はかなりゆっくりで、ホームページに行けば記事のすべてにトランスクリプト(発話内容の書き起こし)がある。そして記事の内容が面白い。現在話題の出来事やトレンドのトピックを紹介してくれる。英語世界で話題のニュースが手に入るのもあり今でも聞いている。

 使い方(聞き方)としては、まずは何も見ずに聞いてみて、わからないところはスクリプトを見て確認、をひたすら繰り返すのみ。最初はスクリプトを見ずに聞くのがめちゃくちゃ辛い。自分がどれだけ簡単な単語も文も聞き取れていないかを自覚させられるから。

 次に取り組んだのはYouTube動画。おすすめは「英文法を英語で解説する動画」。EngVidとかよく見てました。YouTubeは英語字幕もつけられるがそれに頼っているとあまり意味がないかも。リスニングでもリーディングでもそうなのですが、私はインプット仮説に深く共感・共鳴した類の人間なのでいかに「理解可能なインプット(comprehensible input)」を摂取するかを重視して学習に利用するコンテンツを選んでいきました。SLAはすべての大人の言語学習者が言語を学習する前に触れておくべき分野だと思っています。SLAの研究知見から提案される「最適な学習方法」を踏襲することはできなくても、その知見を部分的に自分の学習に取り入れることはできるでしょう。

youtu.be

 

 現在は6 Minute English(BBCの提供するコンテンツ。イギリス英語。トランスクリプトが使えるため大変便利: https://www.bbc.co.uk/learningenglish/english/features/6-minute-english)を中心に、適当なネイティブ向けのpodcastや動画を見てリスニングのインプットを得ている。BBC Leaning Englishは本当に有益なコンテンツを提供してくれている、移民政策への本気度を感じる...。Tim's Pronunciation Workshopもめちゃくちゃ有益だった。あとはAmerican English Podcastもいいですね(https://americanenglishpodcast.com/home-2/)、無料のスクリプトはないですが。

 発音に関しては、上記の様々な材料を聞きながら息を吸うようにシャドーイングしていれば十分だと思う。発音は筋トレです。日本人は発音ができないのではなく言語産出ができない。

 

 そんなこんなでざっくばらんに独学(学校教育を除く)で進めてきた。嫌なこと、めんどくさいこと(私にとっての)ほぼやってません。あ、辞書引くのは趣味。文法も趣味です。Learner's Dictionaryはマジでおすすめ(https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/)。単語帳・フラッシュカード、作ったことありません。怠すぎる。語彙については、死ぬほど読んだり聞いたりしていれば重要な語句には何度も遭遇するし遭遇するたびにわからない語を意味を調べたりその意味を推論したりしていれば自ずと身につくはず。知らんけど。英語能力試験の過去問・練習本、使ってません。つまらないから。TOEIC対策のようわからんビジネス会話を何度も聞くなんて苦痛でしかない。オーセンティックな材料を自分で探すのもまた楽しみのひとつだと思う。

 もう1年ほど前ですが、なんとなく力試しに受けた英検準1も特段の試験対策なしに余裕を持って合格できた。これは自信になったし、自分のやり方が間違っていなかったことを裏付けてくれたように思えた。スピーキングは酷いもんでしたが。

 最近はリスニングばかりだったため読書の量を増やそうかなと思っている。やはり語彙を強化するには読書あるのみ。アウトプットの機会を増やす必要もありそうだけど、お金かかるからなぁ。いずれにしても、あとは量をこなすのみ、という段階にこれたのではないかという自覚がある今日この頃。何枚目かの壁は越えた。まだ見えない壁が何枚もあるのだろうけど。なんにせよ、あとはやるのみ。

 

以上。

『コンビニ人間』『武道館』

村田沙耶香コンビニ人間

 普通の社会で「正常」になれない36歳処女コンビニ店員が主人公の話。面白かったです。あと色々と共感してしまい辛い。

 世俗の空気というか、暗黙のルール的なものにたいていの人は苦労することなく乗っかることができるんですよね。男の子がうるさくて迷惑だからといってスコップでその子の頭を殴ってはいけないし、女教師がヒステリーをおこしたからといって黙らせるためにスカートとパンツをずり下げてはいけない。そんなことは「普通に考えてわかる」。でも主人公にはそれがわからない。目的のための最も合理的な解を選択する、選択できてしまう。

 友達もろくにいないまま大学生になった彼女はふとしたきっかけからコンビニバイトを始める。コンビニには完璧なマニュアルがある。真似するのは昔から得意だった。マニュアルのない世界でどうすれば普通になれるのかわからない私も、ここでは世界の歯車になれる。コンビニ店員は彼女にとってまさに天職。コンビニの「声」が聞こえる。コンビニ店員になったことで彼女は生まれて初めて「正常」な人間になれたわけです。

 ところどころに主人公のアスペユーモアが散りばめられていていい。白羽という名のキモカネ中年男が登場するのだが、彼の異常者ムーブに対して「修復されますよ」と呟いたり、赤の他人に子どもを作る方が人類のためになるんでしょうかとかたずねたりする。主人公も白羽もキャラが立っていてアニメみたいなんだけど、それでも妙に現実味があって出来のいいラノベみたいな面白さがある。

 コンビニという清潔さと合理性の極致のような空間、「正常」な人にとってはちょっと息苦しい空間に生きるための水を見つける。現代社会を縄文時代と地続きのオスとメスと猿山の社会だと思って疑わない諸氏、必読。

 

朝井リョウ『武道館』

 私アイドルってあんま好きじゃないんですよね。デレマスはやってたけど。でもアイドルというジャンルはどうも昔から苦手で、未成年〜20歳くらいの女が資本主義のマッドモンスターによるプロデュースの下に社会に男に媚び売って尻振ってるのがグロテスクに感じられてそれがほんとにダメで、中学生くらいのときにA○B48で誰が好きかとかよく聞かれたけどマジで興味なかったし興味も持ちたくなかったんですよ。

 アイドル(idol)は憧れの仕事であるはずなのに、いつの間にか誰かの期待に応えるために心と身体を差し出させる器になっている。少女の夢と大人の欲望の交差地点。歌とダンスが昔から大好きでアイドルに憧れた少女を主人公にエモーショナルに描き切った朝井リョウ会心の1冊。アイドルが苦手な人こそ楽しめるかもしれないね。

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』『戦争の法』『恋に至る病』

①金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』

 現代若者の「いい子症候群」の記述を中心とした本。原因や解決策などにも言及があるが、「若者あるある」をデータも交えて語るのが中心的な内容です。

 私ね、最近の若者ほんとに嫌いなんですよ。「頼まれたらぜんぜんやるんですけどね」とか半径1メートルの社会貢献志向とかマジであるあるすぎる。めっちゃいる。自分で自分のことは他の人に比べれば親切で優しいと思っているけど、その優しさはお友達にしか発揮されないんですよね。はやくくたばってほしい。

 仕事では「例題」をとにかく踏襲したがるとか、友人関係においては「キャラ」に分配された役割を演技的にこなしているとか。何するにしてもルーチンを繰り返したがると。目立つのも責任を持つのも自分から言い出すのも嫌だが、そのくせ人一倍に承認欲求は強いから「指示待ち」になると。頼まれたことをちゃんとやれば相手から認めてもらえるから。

 とても面白いデータがひとつ紹介されていたため共有。「公正な分配」とはどのようなものかたずね、①平等分配(個人差、必要性など関係なく平等に分配する)、②必要性分配(個人の必要度に応じて分配量を変化させる)、③実績に応じた分配、④努力に応じた分配、の4つの選択肢から選ばせるアンケート(SSM調査というらしい)の結果である。

 30年弱ほど前のデータでは、

  ①平等 男性5.2%:女性7.5%

  ②必要 男性9.8%:女性9.1%

  ③実績 男性30.4%:女性16.6%

  ④努力 男性51.2%:女性62.2%という結果。

 一方、著者が2018-2020年にとったデータでは、

  ①平等 男性49.0%:女性53.2%

  ②必要 5.9%:女性5.5%

  ③実績 19.6%:女性16.5%

  ④努力 男性25.5%:女性24.8%

 なお米帝の学生相手に近年とったデータだと、

  ①平等 1.4%

  ②必要 29.0%

  ③実績 56.5%

  ④努力 13.0%

 私はといえば、ひとつ選ぶとすれば②必要性分配、理想的には必要性分配ベースに実績ベースを加味した分配か。つまり年功序列年功序列は本当によくできたシステムだと思っている。惜しいのはジジババが最後までトップに居座って組織をダメにし必要もないのに金をむしり取っていることか。でもそれは年功序列という経済システムの弊害ではなく日本の共同体の特徴がもたらす弊害であって。年功序列=日本式能力主義においては基本的に勤続年数に応じて給与が上がっていくものの昇進には能力が加味される。年齢を重ねるごとに必要な支出は増えるものだから、これは私の公正についての意見と概ね一致している。

 それはさておき、現代若者の①平等と④努力への偏りようが酷い。自分の実績に自信はないからダメな私にも平等に分配してほしいし、ダメな私でも努力はしているからその努力は見てほしいといったところか。ほんとしょーもなくて腹立ちますね。これだから最近の若者は⋯⋯。半径1mの交友関係が世界のすべて。自分の深さ3cmのところまででしか勝負しないクールでかっこいい態度。それ以外のすべては仕事の人間関係も親子関係もタスク感覚で処理する。批判されたり追い詰められたりすると素直で真面目な雰囲気を出してじっと耐える(問いには答えない、謝罪しかしない)。すると大人が助け舟を出してくれる。被害者ぶるのが上手いんだよ。正義についてロクに考えたこともないのに正義を腐して自分とお仲間の内輪でいちゃいちゃしている。唾棄すべき軟弱さである。

 でもそういった若者の徹底したリスク回避志向と内輪至上主義を助長しているのはジャパニーズコミュニティに普遍的に見られる失敗した人に対する冷酷な処遇だと思う。まあ著者もそう言っている。そしてそういう構造を作っているのは我々全員であるわけだ。解脱せよということですね。

 

佐藤亜紀『戦争の法』

 ロミオが書評を書いていて気になったから読んだ。米所N県がソ連のサポートを背景に日本政府からの独立を宣言し戦争が起きる話......なんだけど、セックスとヴァイオレンスの話は中心ではなく、N県から脱出しN県政府に対するゲリラ戦闘を行う部隊に所属する主人公とその周囲の人物達の伝記といった側面が強い。平時にはクソの役にも立たないどうしようもない男共がここぞとばかりに生き生きし出す。

 主人公君の語りのシニカルさがいい味を出しているが、話が長いから途中結構すっ飛ばした。現代社会における革命の空虚さに対する想像をそのまま文章にしてみました、みたいなテキストで結構面白かったです。ロマンも夢もクソもない名ばかりの革命、独立政府内部にもその周辺にも実利に目が眩んだ奴らが跋扈し革命は形骸化する。思想の死んだ世界の末路がこれか。

戦争の法

 

③射線堂有紀『恋に至る病』

 パソコンの大先生がおすすめしていたから読んだ。百数十人を操って自死へと追い込んだ女子高生、景。主人公は彼女の恋人となり彼女の行動をそばで見守り続けるが──。

 サスペンスなので詳細は書かないことにしますが、最初の最初から最後まで景は主人公にひどく執着している。「外側からじわじわ切り崩していって、最終的に本命をっていうのがいい」んだし、それを愛と呼ぶなら愛かもしれない。あるいはそれが「恋に至る」病か──みたいな。愛を解さないメンヘラ彼女、いいですよね。そういう女を消費するための物語です。

山椒魚戦争

カレル・チャペック栗栖継訳)『山椒魚戦争』 を読んだ。

 山椒魚って可愛いですよね。私はああいう両生類というか、体表面のぬるぬるしたつぶらな瞳の生物が好きです。そんなこんなで前々から読みたいと思っていたのでついぞ読んだ次第。この時代のチェコの作家というとフランツ・カフカと思い浮かべるが、本作もカフカの作品も大変好みです。

 というわけで、読み終えたのはだいぶ前なのですが感想を。

 作中の山椒魚は現存する山椒魚とは異なり、文明を築く類の高度な知性を持った存在として描かれる。その従順さと繁殖力に着目した人間が有用な労働力として彼らを酷使するものの、途方もない繁殖力を持った彼らが人間から得た科学技術・軍事技術をもって人類の住む陸地を削り始め(彼らは海水性である)、ついには人類を滅亡に追い込む、という話。

 自らの生み出したもの(技術)が際限なき拡大主義と人間性の不在とを土台に自らを滅ぼす。チャペックはこの物語の主人公をナショナリズムであると言ったという。これは時代の文脈を考慮する必要がある。彼の生きた時代はナチスの台頭するドイツの隣国チェコであり(もっとも彼はナチスチェコに攻め入る前に亡くなった)、人間性を廃し合理性に徹するナショナリスト集団が科学技術を手段にどんな破壊をもたらしうるかを切に感じながら書き上げたに違いない。

 山椒魚は科学的研究の手法を身につけ、学校に通い、共産主義を学び、保守派と革新派が血みどろの戦いを繰り広げ、軍隊を作り、ついには人間に対して攻撃を開始する。住む場所がなくなったために陸地を海にしようとしたのである。そこには人間に対する攻撃意欲はない。ただ山椒魚社会の拡大のための必要な手段として陸地を削る。

 中盤に挟まれる山椒魚の生態についての論文がいい味を出していて、いわく山椒魚は男性原理に支配された集団主義社会を構成している(この辺りにはフロイトの理論の影響が見られるか)。こういった全体主義的な集団が自らの拡大のために科学技術を際限なく酷使することへの危惧が表現されていると思う。その意味で、前書きには「科学技術の発達が人間に何をもたらすか、と問いかける」「現代SFの古典的傑作」とあるが、正直SFというよりかは資本主義における合理性批判の物語であるように思える。技術が人間を滅びに導いたのではなく、人が人を滅びに導く。物語の終盤、山椒魚への武器の供与をやめるよう求める宣言を国連が採択するが、資本家達はどれだけ大地が削らようと明日は我が身と思われようと武器供与を止めない。山椒魚への武器供与がもたらす利益に目がくらんでいるのである。山椒魚側もそれを知っており、イギリスを沈める際には金でイギリス政府から土地を買い取ろうと持ちかける始末である。

 山椒魚がその知的能力や身体的能力に基づき販売価格をつけられたり、密猟され奴隷として売買されたり(なお密猟の生き残りはタフであるため価値が高いらしい)といった描写は、労働力商品としての我々やかつての奴隷のメタファーとして機能している。そういった労働力商品の売買や奴隷売買をもはや野蛮さを克服した近代人として自らを規定しているヨーロッパ人にやらせるところに皮肉がある。彼らは言う、「山椒魚が自らの意志を示してくれたら労働環境も何もかももっと改善へと動くのに」と。要求した結果が陸地の削減であるという皮肉な結末である。

 終盤、山椒魚ビジネスを始めた会社の秘書をやっていた男の独白のシーンがある。彼は自分が世界を破滅へと導いたのだと後悔するが、個々人の合理的な行動がこの結果を導いたのだと反論される。共有地の悲劇

久しぶりに本当に面白い物語を読んだと思える。大変おすすめです。

再開

 しばらく放置していたが、こちらのブログを再開しようと思う。

 

 理由は、文章産出を行わない生活が続きすぎたせいで内言の機能が落ちていることを実感しているためである。心理学というディシプリンから離れたことで認知心理学的な視座からなんでも見てしまう傾向は緩和され、専門性による暴力は以前に比べると行使していないように思うが、文章を消費者として摂取するだけではなかなか知性は活性化しないものである。というわけでつらつらと日常のこと、考えたことを書き留める場としてここを使うこととします。

 

 なおいまいによる漫画『えすぽわーる・ゆりでなる』(1〜4巻)を読んだ。

 婚約を父親により勝手に結ばれた百合好きの令嬢高校生が、結婚までに残された1年間を使って街で行き交った百合カップル(ご令嬢の目にはそう映るのだ)をスケッチブックに書き留めると共に妄想が展開される、というのが大筋。社会的秩序、あるいは性別役割や大人のしがらみに変性させられようとする際の疎外感の表現がいい。作者の感じている閉塞感がダイレクトに伝わってくるような勢いがある。

 絵が大変好み(絵柄丸パクしたい)。こういうジュブナイル向けの少女漫画的な絵柄が本当はいちばん好きなのだ。また漫画的な表現が上手で可愛らしく一コマ一コマ楽しく読める。

 マジョリティが記号化されておりマイノリティの傷つきばかりに焦点があたるが、これもまた作劇上の仕掛けなのかもしれないと思わせてくれるくらいには男性達の描写が示唆的。作者の思想の変遷とともに楽しめそうな作品です。

 

 斎藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』を読んだ。

 「自己肯定感が低い」と言う人々の「生きづらさ」を認めつつも、そういう人は実のところ確かな自己愛を秘めているのではないか、ペルソナ=キャラとしての「自己肯定感の低い」自分、「生きる価値のない」自分を攻撃することで本丸の自分を守っているのではないか......そしてそれに気づくことで自己についての省察を深め、また言語により分析することで自分を客観視し生きづらさの緩和につながれば嬉しい、とのこと。

 臨床的には妥当だと思うけど、徹底的に自己を相対化するマゾな内言産出を日常的に行ない続ける人間、つまり対人関係においてすら常に自分の言動の分析に認知リソースが割かれている類の人間にとっては「もうわかっている」ことだし、虚無の解消にもならない。結局のところ精神医学や臨床心理は「気づく」ことで癒される程度の知性の不活性な人間しか支えられないのだろう。そうやってやんわりとクライエントを社会に嵌め込んでいくことを目的とする、社会構造の再生産の維持に寄与する学問であるわけだ。

 

以上。